人間の視点、主観20240304

2024年3月4日
落合陽一のXでの暴言に対するヤフーニュース版のコメントが秀逸。

 

 

 

上の記事に対してだいたい以下のような批判コメントがあります。

『その時にどういう態度をとるかで人の器を感じる』とか。
これはうまい。

基本的に人の認識と言うものは相対値みたいな所があると思うのですが、
この人の中では『どういう態度か』が絶対値になるようです。
というかこの人だけではなく人間ならだいたい誰でもそうなのだと思いますが。

 

 

『私の息子が、ベソかきながら兄弟げんかしてる時のレベル』というのもそうです。
これって、奥さんあなたが普段ご主人と喧嘩しているときの態度も子供と同じなので子供から見たら子供みたく見えるという事と同じって事ですか?

で、子供や周りの大人から子供っぽく見られないように大人っぽい態度で喧嘩をする、と。

 

そもそも子供っぽく泣きじゃくりながら暴言を吐いたからと言って子供なのかと。
世の中の人間の認識視野は相対的であり絶対的な情報量はないんだけれども

あるショート動画に対する批判コメント

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このショート動画批判コメントしかない。

肯定コメントが0というのはどういうことなのか。

 

動画の造りが批判されるようにイメージ誘導されているから?

日本人の横並びの同調性という国民性?

もしくは本当に共感する人がいない独自の回答をしているってこと?

 

 

ニートになりやすい人の特徴

 

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ニートの特徴ではなく人間の特徴だろうと思いました。

血液型占いで「そういわれればそうかなあ」と思うように

こんなのはそう言われれば誰でも当てはまるようなもので、
「いや俺は私は違う」っていう点はちょこちょこあるかもしれないけれども、
だいたい人間と言うのは多かれ少なかれそういうものだろうって事だと思います。

 

結局、こういった愚痴と言うか悪口に触れない方が健康的に生きられるんじゃないかなあと思いました。

 

こういうのを掲示板で書いている人たちは、
自覚がないバカな人たちです。
自覚があればニートじゃなくても自分たちに全部当てはまるでしょーに―。

なので単なる職場での愚痴とかそういう程度の話なんだよなー。

 

「例えば自分は一切悪くないと思っている」とか
運転してたらよくあるんじゃないかなーと思うんだけどなあ。

でもニートじゃないよなあと。

いや、客観性を問われる場にいたら「私が悪いです」てのはあるかもしれないけれども
瞬間的なその場では主観なのだから心の中では相手のせいにするというのはよくある事。

 

そういう所をいちいち取り上げて、
すべてニートの特徴にされても困るよなあと。

上の動画に出てくる特徴をそこら辺にいるサラリーマンに当てはめて考えてみると
普通に当てはまるやろに―。

社会的弱者相手だから何言ってもいいだろうという感じで
一般的な人間に対する悪口を言ってるだけじゃないかと。

 

 

 

 

けんき ニートの歌

 

 

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立場によっては弱者を攻撃するというのがよくわかる動画。

あと、けんきの視聴者は若いやつかバカが多いのだろうと思った。

仕事がある人、学生の人、社会的に不適合がなく満足に生きている人は
一般的には自分より弱かったり劣っていると思えたりする社会の弱者を叩くのが普通なのだろう。

皮肉ではなく実際そうなのだろう。

考えてみれば会社や組織で嫌な人を自分なりにプロファイリングすると
だいたい決まってかわいそうな人のイメージになるだろうが
実際はかわいそうな人ではなく普通の人であったりするだろう。

つまり弱者でしか叩けないのが人間のさがかもしれない。

そうすると叩く対象はニート、無職、アニオタ、というレッテルに流れていく。

 

動画内では笑っているがこれ反対の立場だったら笑えないだろうに。

 

ニートは社会的に健全になるまでこういった動画や歌は見聞きするべきではないと思いました。

そもそも17歳を超えていたら脳の機能上「このままではダメだ」っていうのは周りや自分の置かれている環境から日々思っているわけだし、
放っておけばその内精神が回復した辺りに自立的に社会に出ていくものだろう。

 

それがこういった動画を見たり聴いたりすると一向に回復しない。

具体的には自我と言う悟りに至らず周りからの洗脳と言うマイナスなセルフイメージに至る。

 

問題は、ネットに触れて「ニートでも良いいいじゃないか」とか「ニートは悪い」とか
良いも悪いもどちらも触れない事なんじゃないかと思いました。

つまり自分で考える時間と言うか自分の満ちる時間を作る事。
上のような動画を見ると、動画を見たのは10分かもしれないけれども
24時間、3日、1週間は動画の内容が頭から離れず、自分になれないだろう。

 

マインドセット、マインドフルネスの方法を体得しているからいくら見ても平気、
なんてものではないと思います。

そもそもこういった悪意というか悪ふざけから離れられるなら離れる。
極端に言えば毎日見ているアニメにももし精神を崩すようなストーリーがあれば見ない触れない。

漫画を買いにコンビニに買い物に行く。

夜、外を散歩する。

ネットに触れない。

お父さんにドライブに連れていってもらう。

 

ニートで筋トレすることもいいと思いますが
結局ネットでこういった動画を見るとダウナーイメージが残るから
活動的に筋トレすること自体はいいことなのにニートから抜け出せない。

 

ニートで良いなんて言う言葉も洗脳だし
ニートは悪いなんて言葉も洗脳だと思います。

 

夜寝る時に「将来への不安が思いをよぎる」
これが事実でありその他にも色々思いがあると思います。
そこでネットに触れると「いいんだよ」とか「悪いんだよ」とか見たり聴いたりするから
その言葉にフォーカスしてしまって
自分と言うものが出てこない。

 

 

自分が引きこもってた頃は
ニートとかいう言葉はなく、引きこもりと言う言葉も一般的に認知されていなかったんじゃなかっただろうか。

たぶん自分は知らなかった。

んで、2年か3年したらアルバイト応募していた。

ニートと言う言葉を聞くようになったのは自分が28歳くらいの時だった。

 

今のニートは外からニートは良いんだよもしくはニートは悪いんだよなんだと言われて大変だなあ。

「俺は俺だ!」なんて思ってる時点でそこに余計な脳のキャッシュが使われているし。

そう考えると人間と接触しないことが一番精神衛生上いいなあと。

インターネットなんてそこら辺にいる普通の人が良くも悪くも書いているし、
その良く書いているものであっても読むとそっちに引っ張られるから
触れない方がいいのかもしれない。

 

自分が引きこもっていた時は
部屋にインターネットはなく
テレビとテレビゲームと昔の漫画しかなかった。

今どきのやけに理念を訴えかけたりありえないほど嫌味な敵キャラクターが出てくる漫画もなかった。

 

 

ネットで誹謗中傷しているのが40代の男のニートなわけないじゃーん。

ネットで誹謗中傷しているのはそこら辺にいる普通の人ですよ。

 

40代の男のニートだけが自己主張したいわけじゃあないじゃーん。

一般社会人でも主婦でもじこしゅちょうしたいじゃーん。

 

32歳の臨床心理士免許を持っているのかな?元法務技官が
橋の下で野宿をしている社会的弱者の大灯国師を攻めるかな?

 

Vチューバーに粘着しているのは
ニートや引きこもりとは限らず一般社会に生きているそこら辺にいる普通の人かもしれないぞ。

 

社会に於いて一見劣ったことをする人間は
実はそこら辺にいるぞ。

 

それを劣ったことをするのは社会的な弱者だと決めつけて
結局はニートや引きこもりの40代のおじさんを矢面に挙げて
相手をあれしようってぇぇーのは、

 

為になりましたわ犯罪教室のかなえ先生

 

京都の舞踊の先生だか何だかの先生を母親にもった富裕層に育った32歳男性の元法務省公務員と言うのはそういうものなんですね。

 

だいたい分かりました。

 

[追記]

今までお金持ちってどういう感じなのかなあと考えていました。

自分のお金持ちの部材って色々あるんですが

例えば整形クリニックの麻生先生とか。

 

麻生先生とかなえ先生の挙動言動でだいたいわかりました。

人間は脳ってことですね。

 

[追記の追記]
自分は個人的にこれが欲しいっていうのを
概念とか理念としてもっていないのですが常日頃から思っています。

麻生先生とかなえ先生はそれには該当しないんですけれども
世の中、じゃあそう思っている自分が今幸せかと言うとそうは限らないと思います。

なので麻生先生とかなえ先生は個人的な俺からどう思われてもお幸せになって下さいと言うのも思うのも私には恐れ多い事です。

個人的には大衆は環境がないから自我と自尊心があってもあまり密度がないと思います

大衆って自我がありますよね。

思うに大人ぶらないと子供からなめられると思うんですよ。

 

つまり「大人ぶってるからなめられていない」
という所を理解していないのが大衆だと思います。

 

何故かというと人生生きている上で得られる絶対値が少ない。

「50、60鼻たれ小僧」というのはおばあちゃんの知恵袋ではなく
おじいちゃんおばあちゃんの自尊心を満たす為の言っても役に立たない言葉ですが
例えば50歳60歳に対して鼻たれ小僧なんて言っても言われた方は委縮するだけで
なんの得るものもない言葉なんですが

実際の所人間なんてものは50歳になっても70歳になっても密度が少ないですし
物事なんて本当はわかっていないですよ。

それくらい絶対値が少ない。
何故ならば人間は環境で成長しますから、
苦労したなんて主観で誰でも言うけれども実際の環境を見なければならない。

 

例えばハーバード大学の精神医学の准教授48歳は48歳で女子高生の娘を1人の人格として認め向き合わないといけないと言っています。

で、それを大衆は尊敬しています。

だからその准教授をなめているわけではなく、大衆はだいたいそんな程度なんです。

それで、自我があるのでその准教授をなめるような発言をすると
さも自分はその准教授よりも知っているかのように自我を補強するのも大衆です。

なのでフラッグを立てたり概念を説法したり何か大衆を動かすようなことをするのは


だから見返してやるというのは誰に対して思っているのか24歳慶応卒の男の子。
と思ったりしました。

あまり大衆を目的にしない方があとあと充実感があるんじゃないかなあと思いました。

そこまで密度がないんだよなあと。