大衆って自我がありますよね。
思うに大人ぶらないと子供からなめられると思うんですよ。
つまり「大人ぶってるからなめられていない」
という所を理解していないのが大衆だと思います。
何故かというと人生生きている上で得られる絶対値が少ない。
「50、60鼻たれ小僧」というのはおばあちゃんの知恵袋ではなく
おじいちゃんおばあちゃんの自尊心を満たす為の言っても役に立たない言葉ですが
例えば50歳60歳に対して鼻たれ小僧なんて言っても言われた方は委縮するだけで
なんの得るものもない言葉なんですが
実際の所人間なんてものは50歳になっても70歳になっても密度が少ないですし
物事なんて本当はわかっていないですよ。
それくらい絶対値が少ない。
何故ならば人間は環境で成長しますから、
苦労したなんて主観で誰でも言うけれども実際の環境を見なければならない。
例えばハーバード大学の精神医学の准教授48歳は48歳で女子高生の娘を1人の人格として認め向き合わないといけないと言っています。
で、それを大衆は尊敬しています。
だからその准教授をなめているわけではなく、大衆はだいたいそんな程度なんです。
それで、自我があるのでその准教授をなめるような発言をすると
さも自分はその准教授よりも知っているかのように自我を補強するのも大衆です。
なのでフラッグを立てたり概念を説法したり何か大衆を動かすようなことをするのは
だから見返してやるというのは誰に対して思っているのか24歳慶応卒の男の子。
と思ったりしました。
あまり大衆を目的にしない方があとあと充実感があるんじゃないかなあと思いました。
そこまで密度がないんだよなあと。